~桃李成蹊~ 還暦オヤジの独り言

column

2024.09.01   ~桃李成蹊~ 還暦オヤジの独り言

9月を迎えて ~「木鶏子夜に鳴く(もっけい しやになく)」 ~本当の強さ

9月になりました。8月は37度や38度といった「体温以上」の気温が日常的に報じられる一方、突然の「ゲリラ豪雨」で尋常ではない雨量に驚かされる日が続きました。ここ数年は毎年のようにかつてなかった大きな災害が起きている気がします。技術の進歩とともに予報の精度は格段に上がりましたが、防ぐ手段は依然限られており、結局我々は自然とは共棲していくしかないのかもしれません。

8月は、オリンピックの熱戦や大谷選手の史上6人目の40ホームラン・40盗塁達成などで元気をもらいました。その一方で、岸田首相の総裁選不出馬表明など政治的には混乱を極めました。なかでも個人的には斎藤兵庫県知事のパワハラ報道が強く印象に残っています。といっても良い印象はなく、レベルの低い受け答えに終始し、この知事の元で複数の人が亡くなっていることを考えると、情けないと思ってしまうのです。報道されている「パワハラ」や「おねだり」がどこまで真実なのか分かりませんが、権力を持った人は権力を隠すくらいの態度でいなければいけない、と思います。斎藤知事には会見等で見る限りその意識は感じられず、聞いていて情けなくなってしまいます。

「木鶏子夜に鳴く(もっけい しやになく)」という言葉があります。昔中国の国王が、闘鶏の鶏を育てる名人に強い鶏を育てるよう依頼し、鶏が強くなるのを待ちました。国王が強く鍛えられた鶏を見て「もう戦わせても良いだろう」と言っても名人は「まだまだです」といって戦わせません。ようやく「強い鶏になりました」といって名人が国王に鶏を献上に行き、こう言います。「どれだけ強くても、その強さを誇示している間は本物ではありません。虚勢を張ったり、相手を威嚇したりするのは、心が未熟だからです。本当に強い鶏は、どんな相手の前でも木彫りの鶏のごとく平然としていられるのです。」これは人間にも当てはまります。強さをわざわざ見せつけるのは弱さやコンプレックスの表れでしかなく、どんな時も木鶏の如く泰然自若としていられることが、本当の強さなのでしょう。

「組織の長」の座に座ると同時に「強い権力」も手にします。しかしながら「強い権力」は、組織の活動を通じて社会に貢献するという「重い責任」を果たすために与えらているのです。そのことを組織の長が自覚せず、成功者として権力を誇示するようなことになれば、「強い権力」は仲間を苦しめたり、時には殺めたりもする「武器」にもなり兼ねません。斎藤元彦氏は知事という公の立場が故に、その自覚の度合いが大衆の眼に晒されますが、一般にはそうした牽制が効いている訳ではありません。ビジネスの世界でもリーダーの人選を誤れば同様なことが起き、その周囲には悩み苦しむ人がいるのではないかと、斎藤知事の記者会見を聞いていて、改めて考えさせられてしまいます。

廣瀬

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